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秒速5センチメートル&言の葉の庭感想
 
二本立て同時上映に行ってきました。
大きな花火大会が一緒にあったようで、駅は混雑していて席に着いたのは開幕ギリギリの時間でした。息をはずませながらふっと暗くなったスクリーンに真っ白い「第一話」文字が浮かび上がるのを見て、走ったのとは全然別のどきどきが胸を襲いました。初回上映を見に行って、監督とお話させてもらった何年も前のことを思い出しました。


二本とも、とっても素敵な映画でした。
世界の秘密という言葉が、とても印象的でした。
ところで思ったのですが、新海作品では男性と女性では現実に対する順応力が全然違うように思います。女性はわりとたくましく現実に順応していくのですが、男性はわりとロマンチストかつセンチメンタルで、悩んだり困しんだり幻想にすがったり、そういうところが多いなあなんて思いました。でもこれはわたしが女性だからそう思っただけかもしれません。


そして再び長文感想を書きました。
全編ネタバレまみれの感想です。

秒速5センチメートル 第一話
秒速5センチメートル 第二話
秒速5センチメートル 第三話
言の葉の庭

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【2014/08/03 08:35】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
言の葉の庭
 
言の葉の庭は、秒速5センチメートルに比べるとシンプルでわかりやすい作品です。
この作品では、雨と靴が非常に印象的に描かれています。


雨は現実じゃない、今のここじゃない世界に自分をつれていってくれるものとして。
靴は、現実を歩いて行くための力として。


自分の作った靴であるくタカオは、自分の力で人生を生きていきたい、早く大人になりたい、と思っているように感じました。一方、いつもヒールのパンプスを履いて、それを半脱ぎでぶらぶらさせているユキノは、『大人と言う靴』を履いて頑張って歩いていたけれど、それを脱いでしまいたい、と思っているように思えます。もう歩きたくない、大人として生きていくのに疲れた、と言う風に。


雨の中で出会った彼らは、お互いにお互いを必要としていました。
タカオは、無力な学生である現実から、雨の非現実の中で解放されました。『なんだかよくわからない世界の秘密=大人世界の象徴』のようなものを持った大人の女性が、自分に対等に接してくれる。そのことも、タカオを何かから解き放ってくれる一因なのでした。
ユキノは、打ちのめされた無力な自分、無慈悲な現実から、雨の間だけは解放されることができました。誰も自分を知らないところに行って、なんのしがらみもなく、自由に笑ったり話したりできました。


けれどユキノはわかっていたのでしょう、また現実に戻らなければならない、ということに。
「ねえ。私、このままでいいのかな」という言葉や、「歩く練習をしていたの」という言葉には、再び現実の世界で生きていくことへの義務感を感じられます。どんなに現実が非常でも、歩けなくなってしまっても、一度非現実で癒されて、それでも現実に帰るのだという意志が彼女にはあります。自立した大人の女性ならではでしょうか。


一方のタカオは、まだ子供です。
秒速のタカキよりは相当大人びて見えますが、『世界の秘密』を信じている辺り、やっぱり子供だなと思いました。ただ彼は『世界の秘密=生きるための力』を手にするために、非常に現実的な手順を践んでいます。バイトをしてお金をため、家では練習して腕を磨き、専門学校へ行く。ロマンとセンチメントの世界で漠然とメールを打っていたタカキくんよりはかなり大人です。


それでもやっぱり、彼は子供です。
自分の無力さをはがゆく感じ、子供=学生でいたくないと、雨の日の午前は学校をさぼって、学生じゃない、靴職人志望の自分になりに公園へ向かいます。そうすることで、学生でいる間に感じる強烈な焦燥感や無力感から解放されていたのかもしれません。そこで出会った大人の女の人が、自分と普通に接してくれる。大人のように扱ってくれる。更には、「歩けなくなった」と自分を頼ってくれた。彼女を歩かせるための靴を作れば、大人に近付けるかもしれない。彼もまた、この非現実な時間を必要としていたのでしょう。歩くための練習として。


そんなわりと大人な二人の魂が触れ合う瞬間が、映画のラストシーンです。
タカキとアカリのキスや、カナエが見たロケットと同じような体験なのでしょう。世界の秘密だと思っていた女性は、ただの現実に傷付き、歩けなくなった大人だった。そのことにタカオは気が付いた。そして、彼女が言っていた「歩くための練習」というのを二人ともが行っていたということにも気付いたのでしょう。


だから、彼らにとって重要なのはあの魂の交感があった一瞬のみであり、その後はそれぞれの人生を生きていったのではないでしょうか。もちろん、再会があったかもしれませんが、それはもう人生を生きる覚悟を持った大人と大人の新しい出会いであり、あの雨の日にお互いを慰め合っていた二人はどこにもいません。
あの東屋でのような関係性に二人がなることは、もうないのではないか、と思いました。


だからこそ、愛よりも前の、孤哀の物語だったのではないかな、と。

 
【2014/08/03 08:29】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
秒速5センチメートル、再び(第三話)
 
今までに蓄積されたものが噴出する第三話だったと思います。


タカキは大人になってもまだ、『世界の秘密』を求めています。
己の無力さを知り、世界の広大さを知り、それでもいつかどこかに、世界の秘密という力があって、それを手に入れれば自由に生きられる。そう思っていた。


ただがむしゃらに働き続け、力を求めて、世界の秘密に近づこうとして、頑張って、がんばってがんばって。
けれど彼はじわじわと気付いていってしまったのでしょう。
『大人になったって無力さは解決されない』
『世界の秘密なんてどこにもない』
そういうことに。


その結果、何のために頑張っていたのか、何のために頑張るのか、あれほど自分を突き動かしていた動力のようなものがきれいさっぱりなくなっていることに気が付いて、もう限界だと思って、仕事をやめたのでした。


彼にとってアカリとは、『世界の秘密』の幻影です。
もはや彼の中でアカリは、アカリ個人ではなく、『無力だった自分を解き放ってくれる存在』として機能していたのでしょう。街角でも新聞でも、どこでもいつでも無意識にそれを探してしまう。
カナエの時と同じです。三年付き合った女性がいても、彼女のことよりも、仕事のことよりも、アカリ=『世界の秘密』の方ばかりを向いている。いつか自由になれる日を夢見て。


だけどそんなことは幻想だと、大人になったって自由なんかじゃないと、彼は薄々気づいているのでしょう。あの時のタカキはもう半死半生で、とどめをさしてくれる何かをずっと待っていたんじゃないかと思います。


そんな時に踏切で出会ったのがアカリです。
アカリはイニシエーションを終え、どうしようもない世界に対して既に折り合いをつけ、幸せに生きていました。出てきた手紙に対して彼女はこう思います。『私も彼も、まだこどもだった』。
彼女にとってすべては過去の良い思い出で、無力だった子供から無力な大人になって、その中で幸福に生きているのでしょう。
だから彼女は、振り返る必要がなかったのです。


一方のタカキは、無力な子供から無力な大人になり、行き場を完全に失っていました。
無力な子供から力ある大人になるはずだったのに、世界の秘密は見付からず、疲れ果て、自分を動かしていた原動力がなんだったのかさえ見失ってしまった。
そんな時、踏切でアカリの姿を見かけます。彼にとってアカリは世界の秘密であり、己の原動力であり、全ての根源だった。失われていった原動力、生きるための力、そういう全ての何かを見かけて、彼は最後に一つだけすがるように思います。


「今振り返ったら、きっとあの人も振り返る」


世界の秘密が目の前に現れたと思ったのでしょう。
もしかしたら何か力が手に入るかもと思ったのかもしれません。
全てが変わるような劇的な体験があるかもしれないと、そう感じたかもしれない。


けれど、アカリは振り返らず、行ってしまいました。
そこでタカキは漸く気付くのです。


アカリは世界の秘密なんかじゃない。
ただの女の子だ、と。


誰も特別な力なんて持ってない。世界の秘密なんてないし、どんな力があったって、自由自在に生きられたりはしない。苦しくならないなんてことは絶対にない。世界は無慈悲だし、自分はいつだって無力で、どうしようもないことばっかりだけれど、みんな、みんなそうなんだと。それでも生きてゆかれるのだと。


タカキの心に最後に残ったのは、きっと希望だったと思います。
イニシエーションの最後の段階。
世界の広大さを知り、己の無力を知り、そして最後に希望を持つ。
タカキのイニシエーションは終わりました。


秒速5センチメートルは、やっぱりイニシエーションを描いた作品だったと、わたしは思います。

 
【2014/08/03 08:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
秒速5センチメートル、再び(第二話)
 
二話でも、描かれることは一話とほとんど変わっていません。

『子供が己の無力さを痛感し、一つ大人になる』

この話だったように思います。



カナエは非常にわかりやすい悩みを抱えています。恋と進路です。
うまく波に乗れないサーフィン、というのは『頑張っているのに自分ではどうしようもないこと』として非常にわかりやすい例えだと思いました。恋も、進路も、波も。自分だけの力でどうにかできることではありません。
カナエはその中で悩み、苦しんで、タカキに「やさしくしないで」と泣き出してしまいます。


何か漠然と感じている圧迫感や毎日の不安のような感覚、それがつかめなくて、ただタカキがやさしいことが苦しい。苦しいのはそのせいだけじゃないはずなのに、ただ、苦しい。


ほんとうは、苦しいのは自分が無力だからです。
好きな人が振り向いてくれない。波に思うように乗れない。これから先の茫漠とした長い人生を、自分で選ばなければならないのにどう選べばいいのかわからない。どうすればいいのかわからない。どうしようもない。だから苦しい。


けれど彼女は、タカキの言葉を聞いて少し安心します。
「俺だって、わからないことだらけだよ。できることから一つずつやってるだけなんだ」
彼女からしてみれば、タカキは『世界の秘密』そのものに見えたはずです。彼をつかまえることができれば、この無力さも、どうしようもなさや正体の分からない不安から解放されるんじゃないか。そんな風に思っていたのではないでしょうか。


けれどもタカキの言葉によって彼女は意識の外で気付きます。
もしかしたら彼は『世界の秘密』ではないのではないか、と。手の届かないそんなものじゃなくて、普通の男の子かもしれない、と。犬とたわむれながら彼女は笑います。「タカキくんも私と同じなんだって。わからないんだって。」
自分よりも大人に見えた男の子。大人の世界を知っている、世界の秘密だと思っていた男の子も、自分と同じ悩みを持っているかもしれなかった。そのことがカナエを安心させたのでしょう。


大人だと思っていた相手も、実は自分とそんなに変わらないかもしれない。
そう気付いたカナエはふっきれたように波をつかまえました。そしてタカキに告白しようとします。
けれどなかなか出来なくて、どうしようもなくて、苦しくて。


そこで飛んでいくのが、探査ロケットでした。


それはまさに『世界の秘密』を知るための装置です。
信じられないほど孤独な旅をして、誰にも会えず、帰れるかすら分からず、それでも目的を達成できるか、そんなことさえわからないのに、ただ一途にまっすぐに向かっていく存在です。


カナエはその瞬間に悟ったのでしょう。
タカキもこのロケットと同じだ、と。知ったら自由になれるはずの『世界の秘密』を求めて、一途に、まっすぐに、他のものは何も見ないでそれに向かっていく存在なのだと。
彼が求めているのは世間を自由自在に生きるための力、すなわち『世界の秘密』であり、それ以外のものは全て些末なことです。カナエの事も。
それに気付いてしまったから、彼女は告白するのを止めました。


ここでも、タカキとカナエの間には明確な差があります。


カナエは、『世界の秘密』だと思っていた男の子は普通の男の子でもあったんだ、と気付いて、どうしようもない現実と折り合いをつけます。明日も明後日もやっぱりどうしようもなく好きなままなんだ、と。
けれどもタカキは、当てのないメールを打ち続け、遠い所を見つめている少年は、『世界の秘密』を手に入れようとまだもがいている途中でした。どうしようもない世界も、何か良く分からない真実だか秘密だか、力だか、とにかくそういうものが手に入りさえすれば、自分の自由になるのではないか。
あの時守れなかったアカリの魂を、守ることができるくらいの存在になれるのではないか。
どうしようもなくなんてない世界が、いつか訪れるのではないか。


その結果がどうなったかは、第三話に続きます。

 
【2014/08/03 07:46】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
秒速5センチメートル、再び(第一話)
 
もう一度大きなスクリーンで観た『秒速5センチメートル』は、新しい発見に満ちていました。
何度見てもその時の自分によってそれぞれ思うところがあって、何度も何度もたくさん考えて、そして最後に希望がある、素敵な映画だと思いました。


第一話、この段階では気づかなかったのですが、アカリとタカキの間には一話のラストでもう三話につながる差が生まれていたように思います。


第一話で描かれるのは『子供の無力さ』です。
周囲からのからかい、大人の都合による転校、会いに行くために必要なお金と時間、そして電車の時刻、無慈悲な天候不順。痛いほどの空腹に、冬風にさらわれて飛んでいくアカリへの手紙。それらは子供であるタカキにはどうしようもないことばかりです。心細さとみじめさに泣きそうになりながらも、歯を食いしばっているタカキを動かしているのはたった一つの原動力、「アカリに会いたい」ということだけでした。
もしかしたら、アカリに会う事ができれば、このみじめさも、無力さも、全部帳けしになるくらい自分を信じられるのではないかと思ったのかもしれません。
実際にアカリに会えた時、二人は泣きだしてしまいますが、それは今まで無力な自分たちが、無慈悲な現実に対してあがいてあがいて、それがやっとむくわれた瞬間でもあったからでしょう。


そうしてキスを交わす二人。
そこで感じたのは、『心とか魂とかそういうものがどこにあるのか』『13年間生きてきた人生の全てを分かち合う瞬間』でした。これを一言で言いかえてしまうと、『真実』とか『現実』とか、そういうものになるような気がします。


人と人とが触れ合ううちに、『魂の交感』がおこる奇跡的な瞬間、というのは確かに存在します。
なにもかもを分かち合えて、分かりあえたような、たった一瞬だけれども世界の全てと相手の全てを感じ取れるような、強烈な『実感』の体験です。
その『実感』によって鮮烈に触れたのは何か、というと、それは他でもない、『世界』そのもの。


今までぼんやりとタカキが感じてきた、世界の大きさ、世間というもの、あらゆる無慈悲さ、これからの人生の長さ、そして信じられないくらい広くて複雑で無慈悲な世界の中にたった一人ぽつんと存在する、自分と彼女の存在。それらを、彼はあのキスの瞬間に感じ取ったのではないかと思います。そして、それはアカリも同じだったのではないでしょうか。


以前秒速はイニシエーションの映画だと書きましたが、三話の時のみながらず、ここでもタカキはイニシエーションを体験しているのではないかと思います。そしてアカリも。
『あのキスの前と後とでは、世界は決定的に変わってしまっていた』。それは彼らが一つだけ、世界を知って次の大人の段階に進んだからです。


彼らが知ったのは世界の広大さと、己の無力さでした。


そこでタカキとアカリに決定的な差が出ます。
茫漠な人生、気が遠くなるほどの長い時間、広すぎる世界、その前には自分たちがずっと一緒にいられるなんて無邪気に信じていられたあの頃のようにはいられない。きっともうずっと一緒にいることはできない。
それでも、


「タカキくんは大丈夫、これからもきっと大丈夫」


そう言えるアカリはタカキとは決定的に違います。
なぜなら、アカリ自身が大丈夫だと信じられるからこそ、タカキにそう声をかけられたのだと思うからです。世界の無慈悲を痛感し、自分は無力だけれども、それでも彼女はあのキスによって希望を感じ、自分の力を信じて、きっと大丈夫だ、と思ったのではないでしょうか。自分も、そして彼も、これから先もずっと大丈夫だと。


彼女が手紙を渡さなかったのは、それが『子供の自分』が書いた手紙だからです。
あの時渡すべきは、イニシエーションを終えて大人になったアカリからの言葉だったのでしょう。だからこそ、彼女は「手紙書くよ、それから、メールも」と言うタカキに対してこういうのです。「あなたはきっと大丈夫」だと。


一方でタカキは、電車に乗りながらこう考えます。
『彼女を守れる力が欲しい』
彼のイニシエーションはまだ完全に完了してはいなかったように感じました。
アカリが「世界は無慈悲で自分は無力だが、それでもきっと大丈夫」と感じたのに対し、タカキは「無慈悲な世界に対して、長すぎる子供時代に対して、いつか力を手に入れれば、その時にきっと希望があるのではないか」と考えているように思いました。


世界を知り、己を知り、そして生きていくための希望を持つのがイニシエーションだとするのならば、タカキのイニシエーションは最後の一つが欠落したままだったように思います。
それがここから先の彼の歪みを産みだしていった原因なのではないでしょうか。

 
【2014/08/03 07:24】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
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